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コンセプト

~Life with matches~
マッチと暮らす、をテーマに。

日本はもちろん、世界中で古くから愛されてきたマッチの魅力を見直し、マッチを楽しむ新しいライフスタイルを提案、次の世代にも伝えたい。

「マッチデザインファクトリー」は、真のものづくりに関わる職人やマッチを愛する心とともに進化していく、知・技・想いのコラボレーションブランドです。

なりたち

はじまりは、2009年春。

兵庫県の地場産業、マッチづくりを昭和初期から継承する神戸マッチ株式会社の嵯峨山 真史が、とある印刷機材総合商社の営業マンに、昔懐かしいマッチラベル(燐票)の印刷を依頼したのがきっかけでした。

これを何かに使えないかな、と持ちかけられたアートディレクター・堀内 康広は「Tシャツにしたらおもしろい」とひと目で判断。その2日後にはTシャツを試作して、嵯峨山と会い、意気投合。

マッチラベルのデザインバリエーションは数万種類、わずかな面積に凝縮されたデザイン性やレトロな雰囲気の斬新さに共感する人は大勢いるにちがいない…そんな想いが高まって、2009年夏、「マッチデザインファクトリー」は誕生しました。

以来、ラベルのデザインを生かしたオリジナルTシャツやマッチ雑貨の開発をはじめ、これまでにない機能性とデザイン性を融合したデザインマッチという新ジャンルの開拓、伝統的な地場産業とのコラボレーションを計画するなど、「マッチデザインファクトリー」は刻々と進化し続けています。

マッチの歴史

国産マッチの歴史は、1875年にフランスへ留学した金沢藩士の清水誠が黄燐マッチの開発に成功し、東京で販売を開始したことからはじまります。

大正元年には生産量全体の80%が輸出されるなど、生糸やお茶、銅と並ぶ花形輸出産業となり、近代日本の発展に大きく貢献しました。その品質の良さは海外でも高く評価され、スウェーデンやアメリカと並ぶ、世界の三大マッチ生産国となったのです。

当時の日本は維新直後で、失業士族の救済が大きな課題でした。明治政府は名古屋や大阪、神戸、姫路など日本各地にマッチ工場を設立。明治10~20年に起きた経済恐慌などを乗り越えて、マッチ産業は神戸・姫路の地場産業として発展していきます。

また、輸出港・神戸港に近く、原材料の輸入や製品の輸出が容易だったこと、乾燥工程の多いマッチの製造に雨が少なく温暖な気候が適していたこと、神戸居留地に住まう華僑や外国人貿易商と手を組むことで中国やインド、東南アジアへ輸出しやすかったことなど、多くの好条件にも恵まれました。最盛期、神戸は生産額の80%を占める国内最大のマッチ生産地となったのです。

現在も国内のみならず、ヨーロッパやアメリカをはじめとする海外へ輸出されているマッチ。兵庫県の地場産業として、姫路周辺では今もなお、国内生産量の80~90%ものマッチが製造されています。